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ノートルダム・デュ・オー丘

ヴォージュ山脈の南、ロンシャン(フランシュコンテ)に位置するノートルダム・デュ・オー丘は、歴史的、芸術的、精神的に価値の高い場所である。
1955年にル・コルビュジエが礼拝堂を建てた。1970年代にジャン・プルーヴェが鐘楼を建てた。そして最近、2011年に、レンゾ・ピアノが丘の上に新しい建物を設計した。このようにして、聖クララ修道院、案内所のパビリオン、鐘楼、ノートルダム・デュ・オー礼拝堂からなる調和のとれた建築アンサンブルが生まれた。象徴的な建物である後者は、2016年7月にユネスコの世界文化遺産に登録される。

1955

ル・コルビジェ

1970

ジャン・プルーヴェ

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ノートルダム・デュ・オー丘

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Carte RPBW – Japonais
平和のピラミッド ノートルダム・デュ・オー礼拝堂 案内所のパビリオン 聖クララ修道院の礼拝堂 巡礼者の家 司祭者の家 鐘楼 聖クララ修道院 庭 案内所のパビリオン側 南の景色 庭 修道院側 北の景色 東の景色

平和のピラミッド

1944年第二次世界大戦フランス解放時にこの丘の戦闘で犠牲になった戦友たちを弔うためにロンシャンの旧従軍兵士たちの依頼で建てられた。建設には旧礼拝堂の石が用いられている。古代遺跡を連想させるこのピラミッドは、巡礼のミサに参列する際の席としても使われる。小さな鉄製の支柱の上に据えられた平和の象徴である鳩は、ル・コルビュジエの助手であり、この礼拝堂の工事監理者であったアンドレ・メゾニエがデザインしたものである。

ノートルダム・デュ・オー礼拝堂

1944年に旧礼拝堂が破壊された後、所有者達は現代的な建築の礼拝堂を再建することにした。幾つかの計画の失敗を経て、最後にル・コルビュジエ(1887-1965)に依頼することになった。ル・コルビュジエの設計した建築は1953年の司祭者の家に始まり、1955年の礼拝堂の竣工まで続いた。1955年6月25日に全体が完成する。風景に感動したル・コルビュジエは、「その場所に語りかける言葉」として礼拝堂をデザインし、建築は風景の中にある白い灯台のように巡礼者を引きつけている。自然、建築と宗教は根底で繋がっている。ファサードは自然に向かい、自然(鳥や花など)と宇宙から導かれたシンボルが礼拝堂の中で聖母マリアを讃えている。家具も建築家によってデザインされた。告解室、ベンチ、祭壇、聖水盤、燭台、十字架…。建築と家具はル・コルビュジエが人体寸法をもとに発明した基準寸法のシステムであるモデュロールに従ってデザインされている。東側の外部には大きな内陣がある。ここでは、8月15日(聖母の被昇天)と9月8日(聖母生誕祭)に巡礼の式典が行われる。

案内所のパビリオン

レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ(RPBW)が修道院、そして受付や事務所、展示スペースのある新しい案内所のパビリオンを設計した。受付では訪問ツアーもおこなっている。

聖クララ修道院の礼拝堂

修道院の奥には修道女たちが毎日集まって祈りを捧げる礼拝堂がある。ノートルダム・デュ・オー礼拝堂と同様に、壁によって支えられていない天井は内陣に向かって高くなり、永遠の生命の源である天上の光に出会う。壁の大きな十字架は1417年にスペインの説教者である聖ビセンテ・フェレール(1350-1419)からブザンソンのクララ修道女に渡されたものである。礼拝堂の家具は修道女が木製を希望し、オリーブ(祭壇、聖水盤、講壇)とブナ(椅子)からつくられている。礼拝堂のオレンジ色の床は日没の時に壮麗な空間を生み出す。

巡礼者の家

巡礼者の家は、礼拝堂の建設労働者たちの住まいとしてル・コルビュジエが設計した。大きな共同の寝室が2室、食堂、台所を備えている。礼拝堂の竣工後は巡礼者や訪問者が数日間だけ滞在することができた。

司祭者の家

もうひとつの家は、当初はこの場所の守衛室として建てられたが、ここに礼拝堂の司祭が住んだことで司祭者の家と名付けられた。

鐘楼

ル・コルビュジエは礼拝堂に鐘をつける代わりに電子音響装置を設置したいと考えていたが、計画は実現しなかった。ル・コルビュジエの死後、1975年にジャン・プルーヴェによる3つの鐘を吊るした鉄製のベルタワーが完成した。2つの大きな鐘(ミの音とファ#の音)は旧礼拝堂から、小さい鐘(ラの音)は1974年にアヌシーで鋳造され、ル・コルビュジエの母親と妻の名前にちなんでシャルロット=アメリー=イヴォンヌ=マリーと命名された。3つの鐘は毎日、9時、正午、19時に鳴らされる。

聖クララ修道院

所有者らは信者と巡礼者を迎えるため、丘にクララ修道院を建設した。修道女たちはブザンソンの修道院を売り2011年9月8日に完成したロンシャンの丘の修道院に住み始めた。レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ(RPBW)が修道院、そして受付や事務所、展示スペースのある新しい案内所のパビリオンを設計した。

丘にあるレンゾ・ピアノが設計した建物は、ル・コルビュジエの礼拝堂と調和している。丘に半分埋まっているので、ノートルダム・デュ・オー礼拝堂からその建物は見えない。修道院は2階建てで、下階には寝室、上階には共同生活のための空間(受付、図書室、工房、台所、礼拝堂)がある。大きなガラス面は修道女たちと自然・外部空間とをつなぐ役割を果たしている。土圧を受けるために鉄筋コンクリート造とされたが、それはル・コルビュジエの建築と呼応させるためでもあった。修道女の一日は、勤め(工房での典礼のための衣服製作など)や祈りを行う。

庭 案内所のパビリオン側

庭はフランスのランドスケープデザイナーであるミシェル・コラジュによるものである。彼の役目は植物に覆われていた場所を、ル・コルビュジエが望んでいた地形に戻すことであった。ピアノとコラジュは修道院を周辺の森林と調和させるために、建設中に敷地に4本のナラの木を残すことにした。コンテの森の特徴を持つ他の木は、工事の終わりに再び植樹された。

南の景色

ジュラ山脈が見える。

庭 修道院側

庭はフランスのランドスケープデザイナーであるミシェル・コラジュによるものである。彼の役目は植物に覆われていた場所を、ル・コルビュジエが望んでいた地形に戻すことであった。ピアノとコラジュは修道院を周辺の森林と調和させるために、建設中に敷地に4本のナラの木を残すことにした。コンテの森の特徴を持つ他の木は、工事の終わりに再び植樹された。

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北の景色

ヴォージュ山脈が見える。

東の景色

ベルフォール峡谷が見える。

© Renzo Piano Building Workshop.
年表
1世紀頃

ローマ時代に聖域があったと言われている

1092年

ロンシャンの丘に教会が建っている(文献における最初の記述)

1789年

フランス革命の間、礼拝堂が国有財産となる

1799年

168人の村の住民が礼拝堂を買い戻し、丘は私有地となる

1975年

ジャン・プルーヴェによる鐘楼の完成

2011年

レンゾ・ピアノによる聖クララ修道院と案内所の完成